失意のイライザがマイアミに帰った後、どうなったかと言うと・・・。
アルバートから連絡を受け、事の顛末を知ったラガン夫妻のショックは相当なものだったらしい。ラガン氏は娘の愚かさに匙を投げて口を利かなくなり、夫人は娘の行く末を嘆いて寝込んでしまった。意外だったのはニールで、両親に代わってイライザを怒鳴りつけ、延々と説教をしたそうだ。イライザに「おまえは結婚は諦めろ。ホテルの仕事を手伝って、人生の修行を積め」と言い放ったと言う。もちろんしおらしく言うことを聞くイライザではないだろうが、昔はどちらかと言うと妹の言いなりだったニールが、兄としての威厳を見せて妹をこっぴどく叱り飛ばしたというだけでも、キャンディたちにとっては驚きの(ちょっぴり愉快な)ニュースだった。
テレンス・オリビエの消息は不明のままだ。アードレー家を追い出されてマイアミに逃げ帰った後、クラブ歌手の仕事をすぐに辞めてそのまま姿を消し、それから誰も彼の姿を見かけた人はいないらしい。
とある休日、キャンディとアルバートは小さな慈善団体の事務所を訪れていた。
キャンディたちは、エルロイ大おば様の遺言に沿って遺品をあちこちの団体に寄付する手続きをようやく終えたのだが、指示がないまま半端に余ったドレス類やバッグがかなり残っていた。それで、まだリサイクルに回せそうなものをアルバートの車に積んで、まとめて慈善団体に寄付しにやってきたのだ。
ドレスもバッグもいずれも古いものがほとんどだが、何と言っても素材は高価で最上級の品ばかりである。キャンディとアルバートが大量の高級な衣類を運び込んだところ、慈善団体の職員は想像以上に大喜びしてくれた。もちろんサイズがエルロイ仕様なのでそのまま再利用するのは難しいが、リフォームしてデザインやサイズを変えて新たなドレスに生まれ変わらせれば、バザーなどで安価で販売することが可能で、これだけ品質の良いドレスならいくらでも買い手はいると言う。
「良かったわね、全部まとめて引き取ってくれて」
手続きを済ませた後、アルバートの車の助手席でキャンディは嬉しそうに微笑んだ。
「大おば様が、亡くなった後にこんなに社会貢献されることになるなんて、なんだか素敵な展開よね」
「天国からブツクサ文句言ってるかもしれないぞ。『私の貴重なドレスを切り刻んでバザーで売るですって?ウイリアム、なんと恥知らずな!』とか言ってさ」
「ねえ・・・今のもしかして大おば様の物真似のつもり?」
「え?似てるだろ?子供の頃からよく真似して遊んだんだよ」
「・・・ぜんっぜん似てないわよ!何それ、面白すぎてお腹痛いわ。アルバートさんって、本当変な人!」
「おかしいな、ジョルジュは評価してくれてたけどな・・・」
キャンディとアルバートは他愛無い冗談を言いあいながら、しばしドライブを楽しんだ。お昼を過ぎていてお腹もすいたので、屋台でランチを調達して、久しぶりにシカゴ自然公園まで行ってみることにした。
「公園の近くにホットドッグの美味しい屋台が良く出てたわよね!まだあのオジサンいるかしら?」
「この前、車で前を通った時はまだあそこで売ってたよ。よし今日のランチはホットドッグにしよう」
「あ、それと私・・・」
「分かってるよ、マフィンも一緒に食べたいって言うんだろ?言われなくても買ってあげるよ、食いしん坊キャンディ」
「だってー!大おば様のドレスがあまりにも大量で、体力使ってお腹すいちゃったんだもの!」
そうやってじゃれあっているうちに、車はシカゴ自然公園に到着した。
公園の池のほとりに腰を下ろしてホットドッグとマフィンでお腹を満たした後、ふたりは芝生の上に寄り添って寝転がると、午後の陽射しの下で眼を閉じ、のんびりとまどろんだ。もう陽の光も風も、すっかり秋の気配を漂わせている。キャンディは寝返りを打ってアルバートの胸に頬を預けると、心地良い草の香りに包まれて静かな幸福を味わった。
「ね、アルバートさん、あの木、まだ登れるかしら・・・?」
かつてステアが亡くなったとき、キャンディが空にいるステアと話がしたくて登った大木が、公園の端にまだ植わっているはずだった。キャンディの特等席だったあの木の上に、アルバートがやってきて慰めてくれたのはもう10数年前のことだ。
「キャンディ・・・そのスカートで登るのかい?きみはもう30代の立派なマダムだろ?」
アルバートがキャンディの髪をくるくると指で弄びながら、からかうように言う。
「いくつでもいいじゃない!分かった、アルバートさん、自分が年だからもう木登りに自信がないのね!そうよね~、もう悪い子バートも40うん歳・・・」
キャンディがムッとしながら反論しアルバートを挑発したので、アルバートもまたムッとした顔になる。
「こらキャンディ、僕の鍛え上げた体をバカにしちゃいけないよ。見ろよ、この引き締まった腹を。ほら、触ってごらん。今でも木登りくらい朝飯前さ」
寝そべっているアルバートに手をひっぱられ、キャンディは固い筋肉に覆われたアルバートの腹部に触れた。シャツ越しにそっと手を滑らせて撫でると、なめらかな肌に直接触れたい衝動に駆られる。ふたりきり、他には誰もいない池のほとりで、キャンディはアルバートのシャツを無意識に引っ張り上げ、さらされたその肌にそっと手を伸ばした。悪いことをしているみたいで、触れているうちに胸がいたずらに騒ぎだす。頬が熱くなるのに、動きを止めることができない。
「・・・いけない子だね。木登りはどうしたの?」
「木登りは、もう、いい・・・」
「木登りより、したいこと見つけたの・・・?」
キャンディは手でアルバートの肌のぬくもりを確かめながら、覆いかぶさるようにして唇と唇を重ねた。音を立てて優しいキスを交わしているうちに、キャンディの手はもっとアルバートに触れようと伸びていく。不意に唇を離したアルバートが、キャンディの手首を掴んで動きをストップさせた。
「おっと、これ以上はここではダメだよ。悪い子だね、キャンディ。続きは帰ってから」
たしなめるように笑うと、アルバートは甘くくちづけながらキャンディの身体を抱き起こした。
公園の近くに停めた車に戻る道すがら、例の大木の前を通りかかった。キャンディとアルバートは木の下でどちらからともなく足を止め、その立派な枝ぶりや大きなシルエットをまじまじと見上げた。こうして登り甲斐のある木を前にすると、ふたりともどうしても野生の血が騒ぎだしてしまう。
「・・・やっぱり、帰る前に」
「ちょっとだけ、登ろうか」
キャンディとアルバートはニヤリと顔を見あわせると、競うように大木まで走っていき、慣れた動きでひょいひょいと登り始めた。だが、調子良かったのは最初だけで、ふたりとも寄る年波とブランクには勝てず、途中から脚がなかなか上がらなくなるわ息は苦しくなるわで、無謀な試みを後悔する羽目になった。それでもなんとか見晴らしのいい位置まで登り切ると、頑丈そうな太い枝に並んで腰かけ、広がる空をゆったりと眺めた。
果てしなく続く大きな空にしばし見惚れる。誰かが亡くなっても、こうしてまた世界は続いていく。
大おば様、アンソニー、ステア・・・。みんなこの空の向こうで、アードレー家を見守ってくれているのだろうか・・・。そうであってほしい。空を見上げるたびに、彼らとの繋がりを感じていたい。
澄み渡った大空を切ない想いで見上げていると、アルバートがそっと肩を抱いてくれた。キャンディは静かに首を傾けてアルバートのシャツの肩先に頬を押し当てた。こうしてお互いの体温を感じながら、これから先も亡くなった人たちの分まで懸命に生きていこうと心で呟く。
「おじさん、おばさん、何やってるの?そこ登っちゃいけないんだよ!」
突然子供の声に咎められギョッとして地上を見下ろすと、木の下に子供たちが数人集まって、キャンディとアルバートを見上げている。そして彼らの後ろには、公園の管理事務所の職員らしき初老の男性が、苦々しい顔で腕組みしてこちらを睨んでいた。
「お客さん、困りますよ!危ないから降りてきてください、違反行為ですよ!」
キャンディとアルバートは「しまった!」と身をすくませた。
「す、すみません!!今っ、すぐ、すぐ降りますーー!!」
「参ったな、この木、いつ登るの禁止になったんだ?」
「知らない!ああ、子供たちがじっと見てる・・・いやーん、恥ずかしい・・・!」
「あっ、ちょっとキャンディ、僕の頭を蹴らないでくれよ。イテテ・・・!」
「やーん、下からスカート覗かれないよう、アルバートさん、ちゃんとガードしててよ?!」
大騒ぎしながら、慌てふためいて木から降りてくる、いい年をした変わり者のカップル。まさか彼らが、シカゴで一番有名なアードレー家大総長とその夫人だなんて、その場にいる人間は夢にも思っていないだろう。
気付けば、シカゴの空の彼方がうっすらと朱く染まり始めている。なんて美しい世界だろう。いま生きていることを、心から幸せに思う。
トニーたちが待っている。早く家に帰ろう。でもその前に、怖い顔の管理人さんに謝らないといけない。
キャンディとアルバートは、イタズラが見つかった子供のような顔を見あわせて、こっそり微笑みあった。
END
アルバートから連絡を受け、事の顛末を知ったラガン夫妻のショックは相当なものだったらしい。ラガン氏は娘の愚かさに匙を投げて口を利かなくなり、夫人は娘の行く末を嘆いて寝込んでしまった。意外だったのはニールで、両親に代わってイライザを怒鳴りつけ、延々と説教をしたそうだ。イライザに「おまえは結婚は諦めろ。ホテルの仕事を手伝って、人生の修行を積め」と言い放ったと言う。もちろんしおらしく言うことを聞くイライザではないだろうが、昔はどちらかと言うと妹の言いなりだったニールが、兄としての威厳を見せて妹をこっぴどく叱り飛ばしたというだけでも、キャンディたちにとっては驚きの(ちょっぴり愉快な)ニュースだった。
テレンス・オリビエの消息は不明のままだ。アードレー家を追い出されてマイアミに逃げ帰った後、クラブ歌手の仕事をすぐに辞めてそのまま姿を消し、それから誰も彼の姿を見かけた人はいないらしい。
とある休日、キャンディとアルバートは小さな慈善団体の事務所を訪れていた。
キャンディたちは、エルロイ大おば様の遺言に沿って遺品をあちこちの団体に寄付する手続きをようやく終えたのだが、指示がないまま半端に余ったドレス類やバッグがかなり残っていた。それで、まだリサイクルに回せそうなものをアルバートの車に積んで、まとめて慈善団体に寄付しにやってきたのだ。
ドレスもバッグもいずれも古いものがほとんどだが、何と言っても素材は高価で最上級の品ばかりである。キャンディとアルバートが大量の高級な衣類を運び込んだところ、慈善団体の職員は想像以上に大喜びしてくれた。もちろんサイズがエルロイ仕様なのでそのまま再利用するのは難しいが、リフォームしてデザインやサイズを変えて新たなドレスに生まれ変わらせれば、バザーなどで安価で販売することが可能で、これだけ品質の良いドレスならいくらでも買い手はいると言う。
「良かったわね、全部まとめて引き取ってくれて」
手続きを済ませた後、アルバートの車の助手席でキャンディは嬉しそうに微笑んだ。
「大おば様が、亡くなった後にこんなに社会貢献されることになるなんて、なんだか素敵な展開よね」
「天国からブツクサ文句言ってるかもしれないぞ。『私の貴重なドレスを切り刻んでバザーで売るですって?ウイリアム、なんと恥知らずな!』とか言ってさ」
「ねえ・・・今のもしかして大おば様の物真似のつもり?」
「え?似てるだろ?子供の頃からよく真似して遊んだんだよ」
「・・・ぜんっぜん似てないわよ!何それ、面白すぎてお腹痛いわ。アルバートさんって、本当変な人!」
「おかしいな、ジョルジュは評価してくれてたけどな・・・」
キャンディとアルバートは他愛無い冗談を言いあいながら、しばしドライブを楽しんだ。お昼を過ぎていてお腹もすいたので、屋台でランチを調達して、久しぶりにシカゴ自然公園まで行ってみることにした。
「公園の近くにホットドッグの美味しい屋台が良く出てたわよね!まだあのオジサンいるかしら?」
「この前、車で前を通った時はまだあそこで売ってたよ。よし今日のランチはホットドッグにしよう」
「あ、それと私・・・」
「分かってるよ、マフィンも一緒に食べたいって言うんだろ?言われなくても買ってあげるよ、食いしん坊キャンディ」
「だってー!大おば様のドレスがあまりにも大量で、体力使ってお腹すいちゃったんだもの!」
そうやってじゃれあっているうちに、車はシカゴ自然公園に到着した。
公園の池のほとりに腰を下ろしてホットドッグとマフィンでお腹を満たした後、ふたりは芝生の上に寄り添って寝転がると、午後の陽射しの下で眼を閉じ、のんびりとまどろんだ。もう陽の光も風も、すっかり秋の気配を漂わせている。キャンディは寝返りを打ってアルバートの胸に頬を預けると、心地良い草の香りに包まれて静かな幸福を味わった。
「ね、アルバートさん、あの木、まだ登れるかしら・・・?」
かつてステアが亡くなったとき、キャンディが空にいるステアと話がしたくて登った大木が、公園の端にまだ植わっているはずだった。キャンディの特等席だったあの木の上に、アルバートがやってきて慰めてくれたのはもう10数年前のことだ。
「キャンディ・・・そのスカートで登るのかい?きみはもう30代の立派なマダムだろ?」
アルバートがキャンディの髪をくるくると指で弄びながら、からかうように言う。
「いくつでもいいじゃない!分かった、アルバートさん、自分が年だからもう木登りに自信がないのね!そうよね~、もう悪い子バートも40うん歳・・・」
キャンディがムッとしながら反論しアルバートを挑発したので、アルバートもまたムッとした顔になる。
「こらキャンディ、僕の鍛え上げた体をバカにしちゃいけないよ。見ろよ、この引き締まった腹を。ほら、触ってごらん。今でも木登りくらい朝飯前さ」
寝そべっているアルバートに手をひっぱられ、キャンディは固い筋肉に覆われたアルバートの腹部に触れた。シャツ越しにそっと手を滑らせて撫でると、なめらかな肌に直接触れたい衝動に駆られる。ふたりきり、他には誰もいない池のほとりで、キャンディはアルバートのシャツを無意識に引っ張り上げ、さらされたその肌にそっと手を伸ばした。悪いことをしているみたいで、触れているうちに胸がいたずらに騒ぎだす。頬が熱くなるのに、動きを止めることができない。
「・・・いけない子だね。木登りはどうしたの?」
「木登りは、もう、いい・・・」
「木登りより、したいこと見つけたの・・・?」
キャンディは手でアルバートの肌のぬくもりを確かめながら、覆いかぶさるようにして唇と唇を重ねた。音を立てて優しいキスを交わしているうちに、キャンディの手はもっとアルバートに触れようと伸びていく。不意に唇を離したアルバートが、キャンディの手首を掴んで動きをストップさせた。
「おっと、これ以上はここではダメだよ。悪い子だね、キャンディ。続きは帰ってから」
たしなめるように笑うと、アルバートは甘くくちづけながらキャンディの身体を抱き起こした。
公園の近くに停めた車に戻る道すがら、例の大木の前を通りかかった。キャンディとアルバートは木の下でどちらからともなく足を止め、その立派な枝ぶりや大きなシルエットをまじまじと見上げた。こうして登り甲斐のある木を前にすると、ふたりともどうしても野生の血が騒ぎだしてしまう。
「・・・やっぱり、帰る前に」
「ちょっとだけ、登ろうか」
キャンディとアルバートはニヤリと顔を見あわせると、競うように大木まで走っていき、慣れた動きでひょいひょいと登り始めた。だが、調子良かったのは最初だけで、ふたりとも寄る年波とブランクには勝てず、途中から脚がなかなか上がらなくなるわ息は苦しくなるわで、無謀な試みを後悔する羽目になった。それでもなんとか見晴らしのいい位置まで登り切ると、頑丈そうな太い枝に並んで腰かけ、広がる空をゆったりと眺めた。
果てしなく続く大きな空にしばし見惚れる。誰かが亡くなっても、こうしてまた世界は続いていく。
大おば様、アンソニー、ステア・・・。みんなこの空の向こうで、アードレー家を見守ってくれているのだろうか・・・。そうであってほしい。空を見上げるたびに、彼らとの繋がりを感じていたい。
澄み渡った大空を切ない想いで見上げていると、アルバートがそっと肩を抱いてくれた。キャンディは静かに首を傾けてアルバートのシャツの肩先に頬を押し当てた。こうしてお互いの体温を感じながら、これから先も亡くなった人たちの分まで懸命に生きていこうと心で呟く。
「おじさん、おばさん、何やってるの?そこ登っちゃいけないんだよ!」
突然子供の声に咎められギョッとして地上を見下ろすと、木の下に子供たちが数人集まって、キャンディとアルバートを見上げている。そして彼らの後ろには、公園の管理事務所の職員らしき初老の男性が、苦々しい顔で腕組みしてこちらを睨んでいた。
「お客さん、困りますよ!危ないから降りてきてください、違反行為ですよ!」
キャンディとアルバートは「しまった!」と身をすくませた。
「す、すみません!!今っ、すぐ、すぐ降りますーー!!」
「参ったな、この木、いつ登るの禁止になったんだ?」
「知らない!ああ、子供たちがじっと見てる・・・いやーん、恥ずかしい・・・!」
「あっ、ちょっとキャンディ、僕の頭を蹴らないでくれよ。イテテ・・・!」
「やーん、下からスカート覗かれないよう、アルバートさん、ちゃんとガードしててよ?!」
大騒ぎしながら、慌てふためいて木から降りてくる、いい年をした変わり者のカップル。まさか彼らが、シカゴで一番有名なアードレー家大総長とその夫人だなんて、その場にいる人間は夢にも思っていないだろう。
気付けば、シカゴの空の彼方がうっすらと朱く染まり始めている。なんて美しい世界だろう。いま生きていることを、心から幸せに思う。
トニーたちが待っている。早く家に帰ろう。でもその前に、怖い顔の管理人さんに謝らないといけない。
キャンディとアルバートは、イタズラが見つかった子供のような顔を見あわせて、こっそり微笑みあった。
END
# by akaneiro16 | 2016-08-11 21:21 | ファンフィクション