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この素晴らしき世界 ♯4

エルロイ大おば様の部屋で遺品整理を始めて二日目のこと。キャンディはふと、奇妙な感覚にとらわれた。
「ここに、小さい宝石箱がなかったかしら・・・?」
まだ手が回らず遺品の確認が済んでいないチェストの上を眺めていたとき、昨日とは何かが違う気がして気になったのだ。おぼろげな記憶を辿る。たしか、このチェストの上にシルクの布張りの小箱があったはずである。チラッと中身を見たとき、指輪とイヤリングが数点入っていた気がする。
「ねえ、アニー。ここにあった宝石箱はもう確認し終わってる?」
「え?宝石箱?いいえ、私は知らないけど。カーラ、知ってる?」
「いいえ、私は見ておりませんねえ。あんたたち、知ってるかい?」
メイド長の問いかけに、他の若いメイドたちも一斉に首を振る。
「私も、はっきり覚えてるわけじゃないんだけど、ここにラベンダー色の小箱があって、たぶん宝石類が少し入ってた気がするんだけど・・・。気のせいかしら?」
キャンディは自信なさげな表情で呟く。
「ええ、私もその小箱は見た記憶があるわ。でもまだここのチェストの区画は誰もチェックしていないはずだし・・・」
アニーがそう言うと、メイドの一人が遺言書の内容を書き写したメモをめくって確認した。
「たしかに、遺品リストに宝石箱の記述がありますね。箱も、中身の宝石も、寄付する団体名まで指示が書いてあります」
一同は顔を見合わせた。宝石箱が忽然と消えている。ここにいるメイドたちは全員旧知の仲で気心が知れており、誠実で仕事熱心な女性ばかりだ。良からぬことを考えるような人間は一人もいない。
「・・・昨日は慌ただしくて雑然としてたし、どこかに転がり落ちてまぎれちゃったのかしら」
キャンディはエルロイの遺品が紛失していたらどうしようと不安な気持ちになった。そんなことになったら、アルバートにどう説明すればいいのか。
「そうね、もしかしたらどこか意外なところから出てくるかもしれないわ。皆で作業しながら宝石箱も探しましょう」
アニーがキャンディを元気づけるように微笑み、メイドたちも頷いた。

その日もまる一日かけて遺品整理の作業を続けたが、やはりシルク地の宝石箱は出てこなかった。
「おかしいわ、本当にないなんて・・・。分類済みの品も確認し直したのに出てこないし」
「出入りしたのは私たちだけだしね・・・。部屋を出るときは鍵も掛けたわよね?」
アニーがメイドたちに確認すると、カーラが「私がしっかり鍵をかけました。間違いないです」と答える。
キャンディの脳裏に、不意に信用できない笑みを浮かべたテレンス・オリビエの顔が浮かんだ。
・・・まさか。あの男は、昨日の昼間たまたまテラスの近くを通りかかっただけだ。いくらなんでも、そんなに悪い人ではないだろう。こういうことですぐ人を疑うべきではない。
少女の頃、ラガン家で罠にはめられ泥棒呼ばわりされた辛い記憶が蘇る。人を疑うのは最後の最後まですべきことではないと、キャンディはテレンスの幻影を振り払うように頭を振った。
「明日、もう一度ゆっくり探してみましょう。今日は皆お疲れさま。また明日よろしくね」
キャンディがあえて元気よく声をかけると、メイドたちも腑に落ちない顔ながら微笑み返してきた。
今日は特に念入りにエルロイの部屋を施錠し、一同は解散した。

キャンディとアニーがそれぞれの住まいへ戻ろうと廊下を並んで歩いていると、外出先から戻ってきたイライザとテレンスにバッタリ出くわした。
「ああ、これはこれはキャンディスさん、アニーさん。今日も遺品整理ですか?大変ですね、お疲れでしょう」
ツーンとそっぽを向いているイライザとは対照的に、テレンスは満面の笑みで話しかけてくる。イライザは今回の滞在中、葬儀の日に遠目にキャンディたちをジロリと睨めつけた以外、一度も視線を合わせようとはしなかった。3年前の失態以来、さすがにキャンディに近づいたり今までのように嫌味を言ったりするのは気が引けているようだ。今度またアルバートを怒らせたら、イライザは本当に居場所を失ってしまうことくらいは理解しているのだろう。
「こんにちは、テレンスさん。今日はどちらへ?」
キャンディはごく自然な笑みを浮かべ、キザな男に尋ねた。
「観劇に行ってきたんですよ。僕も以前ブロードウェーで舞台に立っていたのでね。演劇にはちょっとうるさいんです」
「まあ、どこの劇団に所属してらしたんですか?もしかしてストラスフォードとか?」
アニーがすかさず上品な笑顔で突っ込むと、ほんの一瞬テレンスの顔が不快そうに曇った。垣間見えたその品のない表情を、キャンディもアニーも見逃さなかった。
「ああ、その・・いろいろと、公演ごとにあちこちの劇団から呼ばれましてね。なかなか忙しくて一ヶ所に落ち着けなかったんですよ。それで演劇はやり尽くした感があって、今は歌の方で生きてるんです。実は葬儀の際にも、エルロイ様に捧げる歌をご披露したかったんですが、さすがに遠慮しました」
キャンディもアニーも、呆れ果てて眼を回しそうになった。歌など歌われた日には、エルロイも天国に辿り着けなかっただろう。
「ね~え、テリィ。もう行きましょうよ。私、今日のディナーはフレンチを食べに出掛けたいわ。早く着替えなくちゃ」
「ああ、そうだね、イライザ。ところできみはエルロイ様の遺品整理には参加しないのかい?」
「・・・興味ないわ。うちがもらうべきものはもうパパが手続き済ませてるし。本当は、大おば様の持ち物をくすねるような下品な人間がいやしないか、私が立ち会って見張るべきなんでしょうけど」
「あら、イライザ。下品な人間って誰のこと?そんな人がこの屋敷にいるのなら、ぜひ教えてくださらない?ウイリアム大おじ様に報告しなくちゃいけないわ。ねえ、キャンディ?」
アニーがにっこり微笑みながらも、やや強い口調でイライザに問いかけると、イライザはギクッとしたように口元を歪ませた。大おじ様の名前を出されると、いろいろと都合が悪いらしい。
「・・・知らないわ!さ、テリィ、早く行きましょう。今夜のディナーはどのドレスがいいかしら?選んでちょうだいね」
イライザはテレンスの腕を両手で抱き寄せると、キャンディたちに見せつけるようにしてイチャつきながら客室へと去っていった。テレンスが首だけこちらを振り返って投げキッスを送ってきたので、キャンディもアニーも心底げんなりしてしまった。

「パパ、イライザおばさんが連れてきてるあのカッコつけたおじさんて、サギ師?」
夕食の時間、この日は早めに帰宅できたアルバートに、トニーが無邪気に尋ねた。早く帰れたと言っても意図的に仕事を切り上げたためであり、この後アルバートは眼を通さなければならない山ほどの書類と共に、書斎に遅くまでこもることになりそうだった。
「トニー、サギ師なんて言葉をどこで覚えたんだい?どうしてそんなふうに思うのかな?」
アルバートもキャンディも、トニーの遠慮ない発言に一瞬言葉を失ったが、アルバートは穏やかな口調で息子に問い返した。
「だって絵本にでてきたでしょ、サギ師のフィリップって、ほらキツネの話だよ!ママがよく読んでくれたじゃない。あのおじさん、サギ師のフィリップに似てるでしょ。いつもニヤニヤしてて眼が尖ってて。アリスも、あの人は『きけんじんぶつ』って言ってたよ」
子供の直感的な観察眼にはいつもながら驚かされる。キャンディとアルバートは思わず顔を見合わせた。
「トニー、その人のことを良く知らないのに、見た目の雰囲気だけでそんな失礼なことを言ってはいけないよ。トニーだって、誰かにそんなふうに言われたら嫌だろう?」
「・・・うん、そっか。ごめんなさい。でもさ、あのおじさん、本当にちょっと変だったよ」
「どんなふうに変だったの?」
胸の奥に引っ掛かりを覚えてキャンディが尋ねると、トニーが内緒話を打ち明けるように眼を輝かせた。
「あのね、さっきぼくとアリスがお勉強のあと戻ってくるとき、あのおじさん、スパイみたいに変なとこウロウロしてたんだよ」
「変なとこって、どこ・・・?」
「本館の使ってないお部屋の前だよ。キョロキョロしてて、ぼくたちが通ったら、あ!ってちょっとあわてたの。それでわざとらしくニコニコしてどっか行っちゃったんだ」
キャンディとアルバートは、今度は違う意味で顔を見合わせた。





# by akaneiro16 | 2016-07-26 20:15 | ファンフィクション

この素晴らしき世界 ♯3

「バート、そろそろ起きて。今日から仕事復帰でしょ。ジョルジュが迎えにきちゃうわ」
まるで気絶しているかのように深く眠りこんでいるアルバートを、キャンディは気の毒に思いながらもそっと揺り起こした。もっと眠らせてあげたいが、こればかりはどうにもならない。エルロイ大おば様が亡くなったことで仕事を休んでいたアルバートだが、今日はどうしても外せないアポイントがあると言う。キャンディは心を鬼にして、アルバートの身体をベッドから引きずり出そうとした。
「お、重い・・・!さすがに私の力じゃ無理だわ・・・。ね、アルバートさん、起きて。遅刻しちゃう!アーチーに怒られちゃうわ・・・って、キャッ!」
眠っていたアルバートがいきなりキャンディの腕を掴んで引っ張り、自分の胸に倒れ込ませた。
「・・・キャンディ、もう着替えてスッキリした顔しちゃって・・・。元気だね・・・」
「だって、私だって今日から忙しいのよ。大おば様の遺品の整理をして、慈善団体に寄付する手続きに取り掛からなきゃ」
「そうだったね・・・。すごい量だもんな、あの人のドレスに宝石に絵やら何やら・・・」
「そうよ!アニーと私とメイドたち総動員よ。何日かかるか分からないわ・・・」
「ごめんよ、キャンディ。面倒かけて」
まだ眠そうな眼をしているアルバートに、キャンディはクスッと笑いかけた。
「何言ってるの?アルバートさんのほうがよっぽど大変なんだから、身体無理しないでね・・・。今日は遅くなりそう?」
「・・・んー、たぶんね・・・。最近まともに眠れた日がない気がするよ」
「もうちょっとよ。もうちょっとがんばったら、ふたりでゆっくり休みましょう」
「そのときは、いいことあるかな・・・?」
「あるわよ。とびっきりいいこと」
「うーん、待ちきれないから、今ちょっとだけいいことしてくれ・・・」
パジャマのままのアルバートが、キャンディのうなじに手を添えて甘えるように唇を重ねてきた。
「ん・・・。ダメよ、バート・・・。遅れ・・んっ・・・」
この数日、ゆっくりキスを交わす余裕もなかったからか、キャンディは言葉とは裏腹に優しい唇の感触にとろけそうになり、我を忘れかけた。
「・・・もうっ!ダメって言ってるでしょ!アーチーにガミガミ言われるのは私なのよ?」
キャンディはなんとか理性を取り戻すと、アルバートの腕を思い切り引っ張り起こした。
「・・・最近は、ジョルジュよりアーチーの方がうるさくなってきたからなぁ。僕もしょっちゅう叱られてるさ。すごいんだよね、アーチーの説教」
アルバートはなんだか少し嬉しそうな顔でヨイショと起き上がると、キャンディが用意したワイシャツに着替え始めた。
・・・本当は私だってもっとキスしていたいんだから・・・。キャンディはちょっぴり名残惜しげに頬を染めながら、慌ただしく朝食の支度に戻った。

トニーとアリスを家庭教師に預けたあと、キャンディとアニーはメイド数人とともに午前中からエルロイの遺品整理に取り掛かった。
生前に細かく書かれた遺言書のおかげで、高価な家具や美術品、一族に代々伝わる宝石類など、目ぼしいものは親族の誰々が引き継ぐと決まっており、あらかた分類済みなのだが、問題はそれ以外のさほど重要ではない遺品だった。エルロイが趣味で買い集めた宝飾品、数えきれないほどのドレスやバッグ、靴、蔵書、それに絵画や美術品。アードレー家に遺せるものはそのまま置いておくとして、さすがに衣類は誰も欲しがらないし(そもそもサイズが合わない)、バッグや装飾品もかなり古びたデザインで引き取り手はいないと思われた。これらは不要とは言え、どれも品質が良く高価なものなので、慈善団体に寄付すればリサイクルやリフォーム品として大層喜ばれるはずだ。エルロイも遺言書の中で、引き取り手がない品は寄付するように指示していた。
キャンディたちは蒸し暑いエルロイの部屋の窓を開け放ち、クローゼットやチェストの中身を順番に調べていった。遺言書の内容にもとづいて作られたメモと照らし合わせながら、親族に譲り渡すべきものがまだ残っていないか、慈善団体行きの品で間違いないか確認していく。キャンディがメモを読み上げアニーが品物を確認し、メイドが種類別に分類していく。これは終わりが見えない果てしない作業になりそうだった。
「もう汗が出てきたわ・・・。ああ、レモネードが飲みたい。ね、今日のランチはそこのテラスで皆でサンドイッチでも食べない?木陰だから気持ちいいわよ。料理長に人数分のランチを頼みましょう。もちろんデザート付きでね」
キャンディの提案にアニーもすぐ乗り気になり「いいわね!たまにはカーラたちにもくつろいでもらいましょう」とメイド長に微笑みかけた。
「そんな、滅相もありません!私どもはいつも通り厨房でいただきますから」
カーラや他のメイドたちが慌てて辞退しようとするが、キャンディとアニーは譲らなかった。
「いいじゃない!皆、ここ何日も働きづめで大変だったでしょう?大おば様だって天国に行って、きっと前よりおおらかになってらっしゃるわ。たまには一緒にゆっくり休みましょうよ。それくらいしても、バチは当たらないわ」
キャンディが茶目っ気たっぷりに空を指さしてウインクすると、恐縮していたメイドたちも「それじゃあ、お言葉に甘えて・・・」と嬉しそうに顔をほころばせた。

キャンディとアニー、メイドたちは、料理長が手早く作ってくれた美味しいランチとデザートを満喫した。テラスでおしゃべりしながら寛いでいると、木陰から突然男の影が現れたので、全員がびっくりして思わず身構えた。
「ああ、すみません。女性陣を驚かせてしまいましたね、これは失礼。怪しい者ではありませんよ。改めまして、イライザ嬢の連れのテレンス・オリビエと申します。どうぞよろしく」
シャツの胸元を不必要なほどはだけたテレンスが、キザな微笑を浮かべてテラスに近づいてきた。
途端、キャンディとアニーの顔に警戒心が浮かぶ。
このテレンスという男とイライザは、いったいいつまで本宅に滞在するつもりなのだろう?もう親族のほとんどが数日の滞在を終えて帰宅したと言うのに、イライザとこの男だけがいつまでもシカゴに留まって、連日観光だのショッピングだのと遊び歩いているようだ。ラガン夫妻もニールも、既に諦めて娘を見放しているらしい。
「皆さん、お揃いで何をなさってらっしゃるんです?」
テラスの階段に足を乗せ、馴れ馴れしい態度でテレンスがキャンディの顔を覗き込んだので、キャンディは本能的にサッと身を引いた。
「・・・遺品整理をしているんです。テレンスさんこそ今日はイライザとは別行動なんですか?」
キャンディが淡々とした口調で答えると、テレンスはいかにもショービジネス的に見える不自然な笑みを浮かべた。
「なるほど、遺品整理ですか。それは女性だけでは大変ですね。男手が必要でしたら、遠慮なく私に声をかけてください。あっ、噂をすればイライザが呼んでいる」
茂みの向こうから、イライザの「テリィ~~!どこにいるの~~?」という媚びた呼び声が聞こえてくる。
「今日は私のステージ衣装を作りに行くんです。イライザがいい店を知ってるのでね。では失礼」
すかした仕草でくるりと背を向けたテレンスが、「あ、そうだ」と思い出したようにキャンディを振り返った。
「キャンディスさん、私のことはどうぞテリィとお呼びください。そのほうがあなたも呼びやすいでしょう?」
意味ありげな流し目でそう囁くと、テレンスは気取った足取りでイライザの呼ぶ方へと歩いて行った。
その後ろ姿を呆れて見送るアニーやメイドたちの横で、キャンディは胸焼けしそうな不快感でいっぱいになっていた。
「誰が、テリィなんて呼ぶもんですか!!」




# by akaneiro16 | 2016-07-24 21:08 | ファンフィクション