エルロイ大おば様の部屋で遺品整理を始めて二日目のこと。キャンディはふと、奇妙な感覚にとらわれた。
「ここに、小さい宝石箱がなかったかしら・・・?」
まだ手が回らず遺品の確認が済んでいないチェストの上を眺めていたとき、昨日とは何かが違う気がして気になったのだ。おぼろげな記憶を辿る。たしか、このチェストの上にシルクの布張りの小箱があったはずである。チラッと中身を見たとき、指輪とイヤリングが数点入っていた気がする。
「ねえ、アニー。ここにあった宝石箱はもう確認し終わってる?」
「え?宝石箱?いいえ、私は知らないけど。カーラ、知ってる?」
「いいえ、私は見ておりませんねえ。あんたたち、知ってるかい?」
メイド長の問いかけに、他の若いメイドたちも一斉に首を振る。
「私も、はっきり覚えてるわけじゃないんだけど、ここにラベンダー色の小箱があって、たぶん宝石類が少し入ってた気がするんだけど・・・。気のせいかしら?」
キャンディは自信なさげな表情で呟く。
「ええ、私もその小箱は見た記憶があるわ。でもまだここのチェストの区画は誰もチェックしていないはずだし・・・」
アニーがそう言うと、メイドの一人が遺言書の内容を書き写したメモをめくって確認した。
「たしかに、遺品リストに宝石箱の記述がありますね。箱も、中身の宝石も、寄付する団体名まで指示が書いてあります」
一同は顔を見合わせた。宝石箱が忽然と消えている。ここにいるメイドたちは全員旧知の仲で気心が知れており、誠実で仕事熱心な女性ばかりだ。良からぬことを考えるような人間は一人もいない。
「・・・昨日は慌ただしくて雑然としてたし、どこかに転がり落ちてまぎれちゃったのかしら」
キャンディはエルロイの遺品が紛失していたらどうしようと不安な気持ちになった。そんなことになったら、アルバートにどう説明すればいいのか。
「そうね、もしかしたらどこか意外なところから出てくるかもしれないわ。皆で作業しながら宝石箱も探しましょう」
アニーがキャンディを元気づけるように微笑み、メイドたちも頷いた。
その日もまる一日かけて遺品整理の作業を続けたが、やはりシルク地の宝石箱は出てこなかった。
「おかしいわ、本当にないなんて・・・。分類済みの品も確認し直したのに出てこないし」
「出入りしたのは私たちだけだしね・・・。部屋を出るときは鍵も掛けたわよね?」
アニーがメイドたちに確認すると、カーラが「私がしっかり鍵をかけました。間違いないです」と答える。
キャンディの脳裏に、不意に信用できない笑みを浮かべたテレンス・オリビエの顔が浮かんだ。
・・・まさか。あの男は、昨日の昼間たまたまテラスの近くを通りかかっただけだ。いくらなんでも、そんなに悪い人ではないだろう。こういうことですぐ人を疑うべきではない。
少女の頃、ラガン家で罠にはめられ泥棒呼ばわりされた辛い記憶が蘇る。人を疑うのは最後の最後まですべきことではないと、キャンディはテレンスの幻影を振り払うように頭を振った。
「明日、もう一度ゆっくり探してみましょう。今日は皆お疲れさま。また明日よろしくね」
キャンディがあえて元気よく声をかけると、メイドたちも腑に落ちない顔ながら微笑み返してきた。
今日は特に念入りにエルロイの部屋を施錠し、一同は解散した。
キャンディとアニーがそれぞれの住まいへ戻ろうと廊下を並んで歩いていると、外出先から戻ってきたイライザとテレンスにバッタリ出くわした。
「ああ、これはこれはキャンディスさん、アニーさん。今日も遺品整理ですか?大変ですね、お疲れでしょう」
ツーンとそっぽを向いているイライザとは対照的に、テレンスは満面の笑みで話しかけてくる。イライザは今回の滞在中、葬儀の日に遠目にキャンディたちをジロリと睨めつけた以外、一度も視線を合わせようとはしなかった。3年前の失態以来、さすがにキャンディに近づいたり今までのように嫌味を言ったりするのは気が引けているようだ。今度またアルバートを怒らせたら、イライザは本当に居場所を失ってしまうことくらいは理解しているのだろう。
「こんにちは、テレンスさん。今日はどちらへ?」
キャンディはごく自然な笑みを浮かべ、キザな男に尋ねた。
「観劇に行ってきたんですよ。僕も以前ブロードウェーで舞台に立っていたのでね。演劇にはちょっとうるさいんです」
「まあ、どこの劇団に所属してらしたんですか?もしかしてストラスフォードとか?」
アニーがすかさず上品な笑顔で突っ込むと、ほんの一瞬テレンスの顔が不快そうに曇った。垣間見えたその品のない表情を、キャンディもアニーも見逃さなかった。
「ああ、その・・いろいろと、公演ごとにあちこちの劇団から呼ばれましてね。なかなか忙しくて一ヶ所に落ち着けなかったんですよ。それで演劇はやり尽くした感があって、今は歌の方で生きてるんです。実は葬儀の際にも、エルロイ様に捧げる歌をご披露したかったんですが、さすがに遠慮しました」
キャンディもアニーも、呆れ果てて眼を回しそうになった。歌など歌われた日には、エルロイも天国に辿り着けなかっただろう。
「ね~え、テリィ。もう行きましょうよ。私、今日のディナーはフレンチを食べに出掛けたいわ。早く着替えなくちゃ」
「ああ、そうだね、イライザ。ところできみはエルロイ様の遺品整理には参加しないのかい?」
「・・・興味ないわ。うちがもらうべきものはもうパパが手続き済ませてるし。本当は、大おば様の持ち物をくすねるような下品な人間がいやしないか、私が立ち会って見張るべきなんでしょうけど」
「あら、イライザ。下品な人間って誰のこと?そんな人がこの屋敷にいるのなら、ぜひ教えてくださらない?ウイリアム大おじ様に報告しなくちゃいけないわ。ねえ、キャンディ?」
アニーがにっこり微笑みながらも、やや強い口調でイライザに問いかけると、イライザはギクッとしたように口元を歪ませた。大おじ様の名前を出されると、いろいろと都合が悪いらしい。
「・・・知らないわ!さ、テリィ、早く行きましょう。今夜のディナーはどのドレスがいいかしら?選んでちょうだいね」
イライザはテレンスの腕を両手で抱き寄せると、キャンディたちに見せつけるようにしてイチャつきながら客室へと去っていった。テレンスが首だけこちらを振り返って投げキッスを送ってきたので、キャンディもアニーも心底げんなりしてしまった。
「パパ、イライザおばさんが連れてきてるあのカッコつけたおじさんて、サギ師?」
夕食の時間、この日は早めに帰宅できたアルバートに、トニーが無邪気に尋ねた。早く帰れたと言っても意図的に仕事を切り上げたためであり、この後アルバートは眼を通さなければならない山ほどの書類と共に、書斎に遅くまでこもることになりそうだった。
「トニー、サギ師なんて言葉をどこで覚えたんだい?どうしてそんなふうに思うのかな?」
アルバートもキャンディも、トニーの遠慮ない発言に一瞬言葉を失ったが、アルバートは穏やかな口調で息子に問い返した。
「だって絵本にでてきたでしょ、サギ師のフィリップって、ほらキツネの話だよ!ママがよく読んでくれたじゃない。あのおじさん、サギ師のフィリップに似てるでしょ。いつもニヤニヤしてて眼が尖ってて。アリスも、あの人は『きけんじんぶつ』って言ってたよ」
子供の直感的な観察眼にはいつもながら驚かされる。キャンディとアルバートは思わず顔を見合わせた。
「トニー、その人のことを良く知らないのに、見た目の雰囲気だけでそんな失礼なことを言ってはいけないよ。トニーだって、誰かにそんなふうに言われたら嫌だろう?」
「・・・うん、そっか。ごめんなさい。でもさ、あのおじさん、本当にちょっと変だったよ」
「どんなふうに変だったの?」
胸の奥に引っ掛かりを覚えてキャンディが尋ねると、トニーが内緒話を打ち明けるように眼を輝かせた。
「あのね、さっきぼくとアリスがお勉強のあと戻ってくるとき、あのおじさん、スパイみたいに変なとこウロウロしてたんだよ」
「変なとこって、どこ・・・?」
「本館の使ってないお部屋の前だよ。キョロキョロしてて、ぼくたちが通ったら、あ!ってちょっとあわてたの。それでわざとらしくニコニコしてどっか行っちゃったんだ」
キャンディとアルバートは、今度は違う意味で顔を見合わせた。
「ここに、小さい宝石箱がなかったかしら・・・?」
まだ手が回らず遺品の確認が済んでいないチェストの上を眺めていたとき、昨日とは何かが違う気がして気になったのだ。おぼろげな記憶を辿る。たしか、このチェストの上にシルクの布張りの小箱があったはずである。チラッと中身を見たとき、指輪とイヤリングが数点入っていた気がする。
「ねえ、アニー。ここにあった宝石箱はもう確認し終わってる?」
「え?宝石箱?いいえ、私は知らないけど。カーラ、知ってる?」
「いいえ、私は見ておりませんねえ。あんたたち、知ってるかい?」
メイド長の問いかけに、他の若いメイドたちも一斉に首を振る。
「私も、はっきり覚えてるわけじゃないんだけど、ここにラベンダー色の小箱があって、たぶん宝石類が少し入ってた気がするんだけど・・・。気のせいかしら?」
キャンディは自信なさげな表情で呟く。
「ええ、私もその小箱は見た記憶があるわ。でもまだここのチェストの区画は誰もチェックしていないはずだし・・・」
アニーがそう言うと、メイドの一人が遺言書の内容を書き写したメモをめくって確認した。
「たしかに、遺品リストに宝石箱の記述がありますね。箱も、中身の宝石も、寄付する団体名まで指示が書いてあります」
一同は顔を見合わせた。宝石箱が忽然と消えている。ここにいるメイドたちは全員旧知の仲で気心が知れており、誠実で仕事熱心な女性ばかりだ。良からぬことを考えるような人間は一人もいない。
「・・・昨日は慌ただしくて雑然としてたし、どこかに転がり落ちてまぎれちゃったのかしら」
キャンディはエルロイの遺品が紛失していたらどうしようと不安な気持ちになった。そんなことになったら、アルバートにどう説明すればいいのか。
「そうね、もしかしたらどこか意外なところから出てくるかもしれないわ。皆で作業しながら宝石箱も探しましょう」
アニーがキャンディを元気づけるように微笑み、メイドたちも頷いた。
その日もまる一日かけて遺品整理の作業を続けたが、やはりシルク地の宝石箱は出てこなかった。
「おかしいわ、本当にないなんて・・・。分類済みの品も確認し直したのに出てこないし」
「出入りしたのは私たちだけだしね・・・。部屋を出るときは鍵も掛けたわよね?」
アニーがメイドたちに確認すると、カーラが「私がしっかり鍵をかけました。間違いないです」と答える。
キャンディの脳裏に、不意に信用できない笑みを浮かべたテレンス・オリビエの顔が浮かんだ。
・・・まさか。あの男は、昨日の昼間たまたまテラスの近くを通りかかっただけだ。いくらなんでも、そんなに悪い人ではないだろう。こういうことですぐ人を疑うべきではない。
少女の頃、ラガン家で罠にはめられ泥棒呼ばわりされた辛い記憶が蘇る。人を疑うのは最後の最後まですべきことではないと、キャンディはテレンスの幻影を振り払うように頭を振った。
「明日、もう一度ゆっくり探してみましょう。今日は皆お疲れさま。また明日よろしくね」
キャンディがあえて元気よく声をかけると、メイドたちも腑に落ちない顔ながら微笑み返してきた。
今日は特に念入りにエルロイの部屋を施錠し、一同は解散した。
キャンディとアニーがそれぞれの住まいへ戻ろうと廊下を並んで歩いていると、外出先から戻ってきたイライザとテレンスにバッタリ出くわした。
「ああ、これはこれはキャンディスさん、アニーさん。今日も遺品整理ですか?大変ですね、お疲れでしょう」
ツーンとそっぽを向いているイライザとは対照的に、テレンスは満面の笑みで話しかけてくる。イライザは今回の滞在中、葬儀の日に遠目にキャンディたちをジロリと睨めつけた以外、一度も視線を合わせようとはしなかった。3年前の失態以来、さすがにキャンディに近づいたり今までのように嫌味を言ったりするのは気が引けているようだ。今度またアルバートを怒らせたら、イライザは本当に居場所を失ってしまうことくらいは理解しているのだろう。
「こんにちは、テレンスさん。今日はどちらへ?」
キャンディはごく自然な笑みを浮かべ、キザな男に尋ねた。
「観劇に行ってきたんですよ。僕も以前ブロードウェーで舞台に立っていたのでね。演劇にはちょっとうるさいんです」
「まあ、どこの劇団に所属してらしたんですか?もしかしてストラスフォードとか?」
アニーがすかさず上品な笑顔で突っ込むと、ほんの一瞬テレンスの顔が不快そうに曇った。垣間見えたその品のない表情を、キャンディもアニーも見逃さなかった。
「ああ、その・・いろいろと、公演ごとにあちこちの劇団から呼ばれましてね。なかなか忙しくて一ヶ所に落ち着けなかったんですよ。それで演劇はやり尽くした感があって、今は歌の方で生きてるんです。実は葬儀の際にも、エルロイ様に捧げる歌をご披露したかったんですが、さすがに遠慮しました」
キャンディもアニーも、呆れ果てて眼を回しそうになった。歌など歌われた日には、エルロイも天国に辿り着けなかっただろう。
「ね~え、テリィ。もう行きましょうよ。私、今日のディナーはフレンチを食べに出掛けたいわ。早く着替えなくちゃ」
「ああ、そうだね、イライザ。ところできみはエルロイ様の遺品整理には参加しないのかい?」
「・・・興味ないわ。うちがもらうべきものはもうパパが手続き済ませてるし。本当は、大おば様の持ち物をくすねるような下品な人間がいやしないか、私が立ち会って見張るべきなんでしょうけど」
「あら、イライザ。下品な人間って誰のこと?そんな人がこの屋敷にいるのなら、ぜひ教えてくださらない?ウイリアム大おじ様に報告しなくちゃいけないわ。ねえ、キャンディ?」
アニーがにっこり微笑みながらも、やや強い口調でイライザに問いかけると、イライザはギクッとしたように口元を歪ませた。大おじ様の名前を出されると、いろいろと都合が悪いらしい。
「・・・知らないわ!さ、テリィ、早く行きましょう。今夜のディナーはどのドレスがいいかしら?選んでちょうだいね」
イライザはテレンスの腕を両手で抱き寄せると、キャンディたちに見せつけるようにしてイチャつきながら客室へと去っていった。テレンスが首だけこちらを振り返って投げキッスを送ってきたので、キャンディもアニーも心底げんなりしてしまった。
「パパ、イライザおばさんが連れてきてるあのカッコつけたおじさんて、サギ師?」
夕食の時間、この日は早めに帰宅できたアルバートに、トニーが無邪気に尋ねた。早く帰れたと言っても意図的に仕事を切り上げたためであり、この後アルバートは眼を通さなければならない山ほどの書類と共に、書斎に遅くまでこもることになりそうだった。
「トニー、サギ師なんて言葉をどこで覚えたんだい?どうしてそんなふうに思うのかな?」
アルバートもキャンディも、トニーの遠慮ない発言に一瞬言葉を失ったが、アルバートは穏やかな口調で息子に問い返した。
「だって絵本にでてきたでしょ、サギ師のフィリップって、ほらキツネの話だよ!ママがよく読んでくれたじゃない。あのおじさん、サギ師のフィリップに似てるでしょ。いつもニヤニヤしてて眼が尖ってて。アリスも、あの人は『きけんじんぶつ』って言ってたよ」
子供の直感的な観察眼にはいつもながら驚かされる。キャンディとアルバートは思わず顔を見合わせた。
「トニー、その人のことを良く知らないのに、見た目の雰囲気だけでそんな失礼なことを言ってはいけないよ。トニーだって、誰かにそんなふうに言われたら嫌だろう?」
「・・・うん、そっか。ごめんなさい。でもさ、あのおじさん、本当にちょっと変だったよ」
「どんなふうに変だったの?」
胸の奥に引っ掛かりを覚えてキャンディが尋ねると、トニーが内緒話を打ち明けるように眼を輝かせた。
「あのね、さっきぼくとアリスがお勉強のあと戻ってくるとき、あのおじさん、スパイみたいに変なとこウロウロしてたんだよ」
「変なとこって、どこ・・・?」
「本館の使ってないお部屋の前だよ。キョロキョロしてて、ぼくたちが通ったら、あ!ってちょっとあわてたの。それでわざとらしくニコニコしてどっか行っちゃったんだ」
キャンディとアルバートは、今度は違う意味で顔を見合わせた。
# by akaneiro16 | 2016-07-26 20:15 | ファンフィクション