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この素晴らしき世界 ♯1

エルロイ大おば様が亡くなった。

この数年、体調を崩しほぼ自室で寝ていることが多かったエルロイが、夏風邪をこじらせ肺炎にかかったのがほんの一週間前のこと。主治医のレナード医師から「一応、覚悟をなさっておいてください」と告げられ、アードレー家の屋敷内もにわかに慌ただしくなった。
それでも皆どこかで「まさか大おば様が死ぬわけがない」という妙な思い込みがあって、心のどこかで楽観視していたように思う。ある朝、入院先の聖ヨアンナ病院から「エルロイが息を引き取った」という知らせが入ったとき、キャンディたちはすぐには信じることができず、しばし呆然となってしまった。
その後は突然の訃報を悲しむ暇もなく、アードレー家一族や関係者がシカゴ本宅に続々と集まり、騒然となった。やがてエルロイの遺体がアードレー家に運び込まれ葬儀の手筈が整う頃には、邸内には驚くほどたくさんの人が溢れ返っていた。その大仰な空気が余計に、エルロイの死を芝居の1シーンか何かのように、非現実的に感じさせた。

アルバートは一族の大総長として、エルロイの甥として、キャンディも心配になるほど目まぐるしく葬儀の準備に動き回り、ゆっくり伯母の想い出に浸る時間など皆無のようだった。それでも時折ふっと人の群れから離れたときなどに、プツンと何かが途切れるように表情が固まり、一瞬ぼんやりした顔をするときがあった。
少年時代のアルバートにとって、エルロイは厳しい親代わりでもあった。かつてのキャンディに対するエルロイの仕打ちなども含め、アルバートのなかにエルロイに対するいくらかの葛藤があったのは事実だが、それでもかけがえのない身内を失ったことに変わりはない。幼いころから血縁者の死が身近にあったアルバートにとって、エルロイの死は余計に深い意味があるのだろう。
この数日、心がどこか遠くを彷徨っているような表情をアルバートが見せるたびに、キャンディはできるだけ近くに寄り添ってその手に触れた。キャンディの体温を感じると、アルバートは現実に引き戻されたようにホッとした顔になり、そのたびにキャンディがそばにいることに感謝するような眼差しを向けてきた。キャンディは、これからより一層、自分がアルバートを支えて守っていこうと心の内で決意し、今はとにかく自分にできることは何でもやろうと、些細な用事でも買って出た。
トニーやアリスの面倒は主にアニーが見てくれ、アーチーはアルバートやジョルジュとともに、親族、関係者の出迎えや葬儀の進行に奔走した。その合間にも、エルロイがまだ役員に名を連ねていた子会社の後継人事や諸事に対する関係者との打ち合わせの段取りなど、アルバートたちは寝る間もないほどの雑務をこなしていった。

空の色がほんの少し秋めいてきた、9月の日曜日。エルロイの葬儀が非常に大規模に、そして厳かに執り行われた。
キャンディはアルバートが親族に向けて挨拶をし、エルロイの想い出を語るのを聞きながら、これまでのエルロイとの様々な場面を想い出して胸が詰まりそうになった。
良い想い出は少ない。結婚してアードレー家に住むようになってから、ようやくエルロイとも時折笑顔を交わし合えるようになったくらいだ。少女の頃の記憶を辿れば、辛い記憶が山ほど出てくる。それでもキャンディは自分をアードレー家に迎え入れてくれたエルロイに心から感謝していたし、エルロイに対して好意にも似た気持ちを抱くようになっていた。アードレー家で暮らすようになって、エルロイが若いころから背負ってきた宿命や責任の重さがいかに大変なものだったかを理解するようになっていたし、エルロイの立場からすれば、キャンディやアニーのような孤児院出身の人間を簡単に認められないことも仕方ないのだと思うようになった。それでも時間をかけて少しずつ柔軟さを見せてくれるようになったエルロイという女性の存在の大きさに、キャンディはいつしか親しみすら感じるようになっていたのだ。亡くなる少し前に、キャンディがエルロイの脚をマッサージしてあげたときの気持ちよさそうに眼を閉じていた顔を、この先忘れることは決してないだろう。
大勢の人々の前に立ち、涙を見せることなく気丈に力強くエルロイの想い出を語るアルバートの姿が、余計にキャンディの胸をせつなく震わせた。ハンカチでそっと涙を拭うキャンディを見上げて、横にいるトニーが慰めるようにそっと手を握ってきた。もうすぐ8歳の誕生日を迎えるトニーは、聡明な眼をした美しい少年に成長している。エルロイもトニーのことを心から可愛がってくれた。キャンディはトニーの手をキュッと握り返すと、涙をこらえてアルバートの今日の姿を眼に焼き付けた。

「大おば様がこんなに急に亡くなられるなんて、本当に残念だったわね・・・。ふたりともここ数日大変だったでしょう。」
葬儀が無事に終わり参列客らが帰り始めた頃、忙しい中わざわざ式に駆けつけてくれたパティがキャンディとアニーに声をかけてきた。
「パティこそ、来てくれてありがとう。大おば様もきっと喜んでらっしゃるわ」
「大おば様、今頃ステアと会えてるかしら・・・」
「きっとステアが天国で発明した妙な車で、大おば様を迎えに来てるはずよ」
「そうねぇ。途中でエンジンが故障しないといいけど」
三人は控えめに笑みを交わしあい、それからしみじみとステアやエルロイ大おば様の在りし日の姿に想いを馳せた。

教会を出て行く人波にふと眼をやったパティが、思い出したように「あ、そうそう」と呟いた。
「ねえ、イライザと一緒にいた男性はどなた?」
パティの言葉に、キャンディもアニーも一瞬何のことか分からず眼をパチクリさせた。パティに言われる今の今まで、ふたりともイライザが葬儀に参列していることに気付いていなかった。親族の中でもエルロイとかなり親しくしていたラガン一家が参列していることは当然なのだが、いかんせん葬儀の参列者の数が尋常ではなかったため、キャンディもアニーもラガン家の人々のことまで頭が回っていなかったのだ。
「嫌だ、私たちイライザのこと、すっかり忘れてたわね、キャンディ」
「ええ、本当。イライザに最後に会ったのって、あの婚約騒動のとき?もう3年は経ってるわよね?・・・って、えっ?パティ、イライザと一緒に男性がいたって言った?」
「ええ、そうよ。式の間ずっと隣にいて、なんだかこんなときに不謹慎なほどイライザがべったりくっついてたからちょっと驚いちゃって。あの人ってイライザの恋人かしら?」
なんと、イライザに今度こそ本物の恋人ができたと言うのだろうか。それならそれでおめでたい話だが、わざわざ親族が集まる葬儀に連れてくるということは、既に結婚の意思を固めている相手かもしれない。キャンディとアニーは、3年前のイライザの身勝手なドタバタ劇を思い出し、なんとも言えない気持ちで顔を見合わせた。
「あ、ほら!あそこよ。まだあそこにいるわ」
パティが教会の扉の近くにいるカップルを指差した。そしてそちらに眼をやったキャンディとアニーは、驚きのあまり思わず声を失った。
「ちょっ・・・と、あの男の人って・・・!」
「ね、アニー、雰囲気がそっくりでしょ?私も一瞬びっくりしちゃって。・・・でも、良く見ると・・・」
「良く見ると、似ても似つかないわね・・・。でも、なんていうか、ものすごく露骨に物真似してるような、雰囲気だけそっくりさんって感じ・・・。キャンディ、そう思わない?」
驚きで眼を見開いていたキャンディは、大きなため息をついてからようやく声を出した。
「ええ・・・。本当、びっくりだわ。なんていうか、イライザもここまで来るとある意味アッパレね・・・」
三人が驚いたのも無理はなかった。イライザが腕を組んでしなだれかかっている長髪の男性は、遠目に見るとテリィにそっくりだったのである。髪の色、背格好、横顔の雰囲気。けれども正面からきちんと見ると、顔の造りはかなり違っている。妙にニヤけてキザな表情が特徴的な、あまり品の良くなさそうな男だった。
こちらの視線に気づいたイライザが、これ以上ないくらいに得意げな顔で顎をツンと上げ、キャンディたちを女狐のような眼で見返してきた。





by akaneiro16 | 2016-07-20 20:14 | ファンフィクション