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小さな願い ♯10

レイクウッドを後にした車は、のどかな湖の近くを走っていた。
水面がキラキラと透明な光を反射している。このまま湖まで駈け下りて、冷たい水に足を浸したらどんなに気持ちがいいだろう・・・。

これからシカゴのアードレー家本宅に帰る。そして、キャンディはアルバートの妻として、アードレー夫人として新たな一歩を踏み出すことになる。
決して楽しいことばかりではないだろう。キャンディのことを良く思わない人たちは、まだ一族内にも少なからずいる。いろいろ陰で言われることは予想できた。アルバートにも今まで以上に迷惑をかけてしまうかもしれない。
まだ半分子供のような自分が、一族の大総長の妻として生きていく。・・・なんと恐れ多い道を選んでしまったのか。自分はあまりに傲慢で、浅はかだったのではないか。キャンディは急に足がすくむような怖さを覚えた。

一瞬、何も知らなかった子供の頃、ポニーの丘を駆け回っていた頃に戻りたい衝動に駆られた。眼を閉じて、緑の草原を走る幼い自分を思い描いた。息を切らして丘を駈け上る。何にも邪魔されない、青い空の下で、自由な子供の頃の私・・・。
いくらでも思い描けた。すぐにでも帰っていけるあの頃の記憶。丘を走って、走って、てっぺんまで・・・。
そして、丘を上り切った先に、丘の上の王子様の姿が見えた。優しい笑顔、やわらかな声。青く深い瞳。
・・・ああ、そうだった。私が帰るところは、このひとのところなんだ。それ以外は要らない、そう願い、求め、誓ったのだ。

「キャンディ、きみは何も変わらなくていいんだよ」
アルバートの優しい声。ハンドルを握り前を向いたまま、まるでキャンディの心を読んだかのように語り掛ける。
「アードレーにふさわしい人間になろうとか、周りに気を使って本当の自分を抑えたりだとか、そんなことは一切しなくていいんだ」
「アルバートさん・・・」
キャンディの視界がふいに熱くなった。
「キャンディはキャンディのままでいてほしい。僕の願いはそれだけだよ。・・・変わるべきなのはキャンディじゃない。キャンディにこそアードレー家を変えていってほしいんだ」
「・・・それでいいの・・・?」
キャンディは涙声で尋ねる。
「それでいいんだ。そもそも総長の僕がこんなはみ出し者なんだから。・・・僕は古いアードレーを変えていきたい。僕は自分の家を、アードレーを愛しているし、これからもずっと守っていきたい。でも古いままじゃダメなんだ。時代に合わせて変わらなきゃいけないところは変えていく。それをキャンディに隣で手伝ってほしい。だって、僕ひとりじゃ頼りないだろう?」
最後は冗談めかした口調でアルバートが言った。
「そんなこと言って・・・。後で慌てても知らないから。私、とんでもないことやらかしちゃうかも」
キャンディはアルバートの想いが嬉しくて、鼻をすすりながら笑う。
「ははは、覚悟してるさ。まあでも、僕がフォローできる範囲内で頼むよ、奥さん」
快活に笑うアルバートの横顔が眩しくて、キャンディは幸福で胸がいっぱいになり、涙をぬぐった。

「新婚最初の仕事は、来週の結婚披露パーティーだな。キャンディ、ここはひとつ、親族の皆をギョッとさせるような名スピーチを頼むよ」
「えーーー!!そんなの無理よ!!絶対、イヤ!!いきなり恥をかかせないで!!」
「冗談だよ」アルバートがクスクス笑う。
「結婚パーティーのために、キャンディにとびきり似合うドレスを用意してあるんだ。もう届いてるはずだから、シカゴに戻ったら一緒に見よう」
「わぁ、楽しみ!アルバートさんの見立ててくれるドレス、いつもとっても素敵なんだもの。嬉しい!」
アルバートは何かにつけてセンスがいい。昔の、髭もじゃサングラスに汚れたサファリジャケット姿からはまるで想像がつかないのだが・・・。キャンディはかつてのアルバートの怪しい風体を思い出し、笑いを噛み殺した。あの怪しいオジサンが、私に素敵なドレスを選んでくれるなんてね・・・。
そして、そこでふと、ある疑問が頭に浮かんだ。

「ねえ、、アルバートさん、、、昔、私が滝に落ちて助けてもらって、山荘で目が覚めたとき・・・私、アルバートさんのシャツを着て寝ていたわよね・・・?」
「・・・ああ、そう、だったね・・・」
「溺れたから服がびしょ濡れで・・・暖炉で乾かしてくれたのよね・・・?」
「・・・うん、まあ、そうだね・・・」
アルバートの声が心なしかいつもより上擦っている。それでキャンディは確信した。
「・・・・・見た?・・・・」
キャンディのじぃっと見据える眼を避けるように、アルバートは妙に力強くハンドルを握っている。
「・・・・・見たんでしょ・・・・?」
「え?いや、その、、あのままじゃ風邪をひいて肺炎でも起こしかねなかったし・・・。いや、でもちゃんと下着はつけてただろう?!」
「たしかに下着はつけてたけど、、、変よね。下着だって濡れてびしょびしょだったはずなのに、目覚めたときはほとんど乾いてたわ」
「・・・・・・」
「本当は、脱がしたんでしょ・・・?下着も」
「・・・・えーと、だから、そのままじゃ本当に風邪をひいてしまうから・・・うん、まあ、たしかに下着も脱がした・・よ・・・」
「・・・信じられない・・・見たのね・・・触ったのね・・・まさか王子様がそんなことするなんて・・・!」
「ちょっ・・・!ちょっと待ってくれ、、仕方なかったんだよ!なるべく見ないように脱がせて、すぐにタオルで覆ってあげたし、、服よりも先に下着を乾かして、起きたらびっくりしないようにちゃんと着せてあげて・・・」
アルバートは嫌な汗をかきながらそこまで言って、ハッとしてキャンディの顔を見た。キャンディは悪戯を仕掛けたような眼でニヤニヤ笑っている。
「・・・僕の奥さんは、なんて人が悪いんだ・・・」
「うふふふ。ごめーん、ちょっとからかっただけ。命の恩人だもの、許してあげるわ、見たことも触ったことも」
キャンディは運転するアルバートの頬に音をたててキスした。
「触っただなんて・・・。なんて言い草だ・・・。はぁぁ・・・。だいたいね、キャンディ、そんな純情そうなこと言うけど、今のキャンディはもっとすごいこといろいろしてるじゃないか」
「す、すごいことって、、、何よ?!」
「すごいことだよ・・・。口には出せないような・・・。昨日だってさ、、、僕のおチビちゃんが、まさかあんな大胆な・・・。あぁ・・思い出すだけで・・・」
「きゃー!きゃー!やめて!黙りなさい、バート!!」
キャンディはバシバシとアルバートの腕を叩き、アルバートは運転しながら妻の攻撃を必死でよけた。
にぎやかな笑い声を乗せて、新婚夫婦の車はシカゴへの帰路についたのだった。

END

by akaneiro16 | 2016-02-28 23:15 | ファンフィクション